質問
タロットリーディングで、直感はどのくらい重視して良いのでしょうか
例えば『女教皇』のように厳格な意味合いがあるカードでも「さほど厳しいカードとは思わない、もうちょっと物わかりの良い人なんじゃないか」とカードの雰囲気から感じたら、それを採用(優先)して良いものでしょうか。
回答
占いの世界には勘もしくは霊感が強いとおっしゃる方がいらっしゃいます。
タロットの勉強を全くしていないけれど読める、という方がいらっしゃるのも知っています。
ですが、もしあなたが「勘だけで占いが出来る」という方ならばこういうご質問自体をされないと思うんですね。
私たちの多くは「勘」と呼ばれるものがあまりありません。
勘が鋭くないからこそ「どうやったら読めるようになるのだろう」と悩むし迷うと思うんですね。
長くなりますから、そろそろ「こたえ」を書いてしまいましょう。
「知識と経験が勘を育て、下支えをする」
本を読むことは大切ですが、本を読む以上に大切なのは「沢山占いをすること」です。
私が「今日の一枚」と呼んでいる一枚引きを強く推奨しているのは一番手軽で毎日継続出来る研鑽だからです。
タロットリーディングをする上で勘は重要な要素です。
本に書かれていることに頼らず読めるようになる為にも勘は大切です。
ですが、勘を育てるのは知識と経験です。
知識と経験が伴わない勘は根拠が薄いです
(※霊感などを使って読む人のことを否定している訳ではありませんので念の為)。
ですから沢山本を読み、それ以上に占いをなさってください。
沢山本を読み、沢山占いをすれば、ご質問になられたことへの「こたえ」はおのずとわかってくるはずですよ
おまけ:『女教皇』に関する軽めのレクチャー
『女教皇』のタロットカードはワークショップなどで「良く分からない」とご質問をいただくカードの筆頭です。
ですが「良く分からない」というのは『女教皇』を象徴してもいます。
トートロジーのようにも思われるかもしれませんけれどw
『女教皇』というのは歴史上実在していたかいないかハッキリとわかっていない存在です。
教皇と呼ばれる存在をキリスト教史を通して考えるならば女性が教皇の地位につくということは「なかったのではないか」と思われます。
ですが「伝説」的に存在したのではないか、あるいは女性教皇が存在していたら、という一種の希望のようなものがカードという形で具現化したのかもしれません。
ウェイト版タロットに描かれている『女教皇』は「エジプト神話に登場するイシスの冠」を被り「キリスト教を象徴する十字架」を胸に掛け「豊穣の女神アルテミス、あるいは蟹座を象徴する月に足(※)」を掛けています。
左右にフリーメイスンとユダヤ教のシンボルを彷彿とさせるヤキンとボアズの柱があることからも、描かれている女性が時代や宗教を飛び越えた超越的な、そして神秘的な存在、あるいは女神の理想像として描かれていることがわかります。
存在が不確かな女教皇という存在、時代と宗教を超越した理想像としての女神が流れるような水色のドレスを着る姿として描かれていることから「神秘的な」という解釈がなされることが多いです。
『女教皇』はTORAと書かれた書物を持っていますが、全てが見えてはいません。
また彼女の背後にある幕によって「幕の向こう側」の景色が見えにくくもなっています。
知識であれ何であれ「全てを伺い知ることが出来ない」ということが図像的に暗示されているわけですね。
また、絵を全体的に俯瞰しますと理想の女神像であること、そして全てを伺いしれないということから「処女性・清らかさ」などのキーワードがみちびきだされることもありますし、そこから更に「毅然とした、冷たい」などのキーワードを解釈することもあるでしょう。